Column コラム集

 小説を出版してから、時折コラムを任されることがあります。

 過去には苫小牧民報や、北海道新聞に連載したこともあります。道新「朝の食卓」に、月に1回連載されたものからいくつかを転載いたします。

北海道新聞
朝の食卓
2002年6月分

「45歳の学生」

 実は私、会社員でもありました。過去形、です。「事業縮小による解雇」で、長引くばかりの不況の風に吹き飛ばされました。

 長期戦に備える覚悟を決めました。現在、3ヶ月の職業訓練を受講中です。「データベースとウェブサイトの構築と運営」を学ぶ教室です。久々に「学生」に戻りました。

 コンピュータ関連ですから生徒は若く(おおむね、ですが)悲壮感は強くありません。それでも「訓練」です。誰もが必死に、助け合いながら授業に食らいついています。先生方も真剣です。現場で通用する知識と技術を叩き込むために、厳しい言葉も飛びます。

 リストラは、もちろん苦痛です。しかし、チャンスでもあります。こんな事でもなければ、じっくりと最新技術を学ぶ時間は取れなかったでしょう。この国が積み重ねてきた「制度」のありがたさを実感しています。

 しかし当初は、定員割れで実施が危ぶまれたとも聞きました。もったいないことです。自分を成長させるためにも、せめて勉強ぐらいしましょうよ。そのための環境は、こうして整えられているのですから。

 この教室に籍を置けた偶然に、感謝しています。毎日が楽しくて仕方ありません。

北海道新聞
朝の食卓
2003年9月分

「牛の命」

 ここ数ヶ月、朝は食肉牛の牧場で働いています。慣れない力仕事で、ひじや腰の痛みにも襲われました。そんなときに私を力づけてくれたのが、病弱な子牛でした。

 この牛は肺炎持ちで、他の牛とは柵で隔てられて、いつも一匹でした。それでも人なつこく、私が近づくと必ず寄ってきます。「彼」が肺炎から回復し、群れに混ぜられた時は心底ほっとしました。

 ところがある日「子牛が一匹死にそうだ」と知らされました。群れの中で彼が倒れ、つらそうな息をしていました。「他の牛に餌をやってから」と作業をしていた数分の間に呼吸は止まり、冷たくなっていました。

 黒毛和牛の命は、人間に食べられるためだけに存在します。牧場そのものが「死」を前提に作られた場所です。それでも、彼の死を目前にした喪失感は、こたえました。

 この気持ちは他人に伝えられません。「命を大切に」と学校で教えても、「死」を知らない子供には届きません。死を不快なもの、不潔なものとして排除し続けた日本が、「心」を育てられない子供を生み出す原因です。

 食料にすらなれなかった彼の命は、今も牧場で働く励みになっています。

北海道新聞
朝の食卓
2003年10月分

「牛の“仕事”」

 牧場の仕事は「3K」の代表と思われがちで、実際、長続きする人は多くありません。

 しかし、私には都心の排気ガスの方が「汚く」思えますし、会社勤めの人間関係の方がはるかに「きつい」ものでした。

 現代の日本人は見た目やニオイに異常に神経質で、片寄った「清潔さ」を求めます。結果として免疫力が衰え、アトピーや花粉症が蔓延したともいいます。生態学的に不自然な清潔さが、自身を傷つけているわけです。

 身体が狂えば、心もゆがみます。

 死や生活臭といった、生物として避けられない現象を否定することから、現代人は精神の健全さを失っていくのだと感じます。「汚れる・疲れる」は生きている証で、本来「生きる」ことそのものです。他の生物の「命」を食わなければ生きられないことを肝に命じるために、人間が払うべき代償です。

 牛たちを見守るスタッフのまなざしには、愛情と優しさが満ちています。命を育む仕事が軽んじられることがないように願います。

 牛は巨大で力が強く、角という武器まで備えていますが、争いません。人を害さず、黙々と自分自身を肉や乳に変え、他者を養います。真に「美しい」生き物です。

北海道新聞
朝の食卓
2003年12月分

「夢と共に」

 リストラで職場を追われたが2年前。多くの人に助けられながら、何とかここまで来られました。その間多くのものを学び、夢を形にした人たちと出会いました。

 過去の全てを処分してペンションを建てたご夫妻、ご主人の遺志を継いで蝶の博物館を造ったご家族、CG制作会社を興して奮闘し続けるクリエイター、大企業を脱サラして工房を構えた陶芸家──。

 持てるものを捨てて理想を選び、実現した「先輩」たち。彼らは一様に、過去の苦労談などで時間をつぶしたりしません。愚痴もこぼさず、未来の話に目を輝かせます。

 夢を叶えることは難しく、維持することはさらに困難です。嵐の中でも、自分の根で踏ん張る他はありません。日々それを痛感しながらも、彼らは愚直に立ち続けます。

 私は独りでいながら、孤独ではありませんでした。群れていても独りだった頃より、ずっと風通しのいい場所に立っています。

 とりあえず、今を楽しんでいます。みなさんも、楽しんでください。

 来年があなたにとって、そして私にとって、夢に一歩近づける年になりますように。

 夢は、あなたの中にあります。